意外に楽しかった

今日10代最後の夜だなって気が付いたのが、授業と家事が終わった後にBRAHMANの『今夜』を聴きながらお風呂に入っていた時でした。

 

あ~縷縷夢兎 着れなかったなぁ、まだ生きてんなぁ、戦えなかったなぁ、とか思ってシャンプーをしました。もこもこ。美容室で髪を洗ってもらうのは苦手だけど、耳の後ろ側を洗われてる時の音は好きなんよな~。

 

自分が16歳のとき縷縷夢兎を身に纏った黒宮れいちゃんを見て、かわいくなってこんなかわいい服が着てみたいと思っていました。れいちゃんのことが好きな、それ系の子はみんな思ってそうですね。

 

できなかったことのどれもが、行動力次第でできたことに変えれたんだろうなと思うと、毎日とくに何もせず過ごす自分に呆れてしまいます。もし仮に縷縷夢兎を着たとしても憧れの黒宮れいちゃんと自分の違いにびっくりするだけなんだろうなとも思うけどね。ん~、でもやっぱりちょっと着てみたかったな。まあ、やりたいことが全部簡単にできる人生なんて面白くないからね……って書こうとしたけど、絶対できた方が面白いですね。

 

 

 

できなかったことが先に思い浮かびましたが、一瞬でも10代はできなかったことばかりではなかったと思えたのが、自分の中での驚きでした。

 

AppleMusicの邦楽ヒッツに常駐している某女性SSWが路上ライブをしていた時代、わたしが音楽が大好きだった頃に、一度彼女と対バンしたことがあって、そこで彼女が「10代のうちに人を何人愛せるかな」と歌っていたのがずっと忘れられずにいました。きっと自分は何人どころか1人すら愛せないだろうなと強く思ったからだと思います。

今になって考えてみると、「愛する」は恋愛に限らず友達や家族に対しても使う言葉で、そして、あの頃は絶対に無理だと思っていた「愛する」ことが、友達や、その友達に少し変わっていると言われている家族、手をつないで隣を歩いてくれる恋人にも、できているなと思います。びっくり。

 

 

まだ20歳を迎えるほどに、容姿と精神の両方が成長してないなとは思いつつ、高校生の「はよ死にたい」と「ユニバしか勝たん」しか日本語を知らなかった自分とは少し違うなとも思っています。ギターを弾かなくなり音楽から離れ、過呼吸にもならずに電車に乗ったり悲惨なニュースを見ることができる程に感受性が死んだのですが、20歳以降の正常な人生と引き換えだったらいいな。そもそも正常がなにかは全然わかりませんが。

 

 

 

お風呂で『今夜』の次に流れたのが『Beyond the Mountain』だったので、爆音のデスボイスで考えていたことが吹っ飛びました。

20歳になったらお酒トゥウィートしたいな。

 

 

 

自分のこと書くのってむずかしいね。おやすみなさい。